本日は、先週ご紹介した「大塚ワンド(湾処)」をはじめ、淀川の歴史が随所に感じられる「大塚地区」の見どころを歩いて巡るコースをご紹介します。
※ワンド(湾処)について紹介は、先週の記事をご覧ください。
このコースは、体験交流型観光プログラム「オープンたかつき」で初めて、今年5月に実施した観光ガイドコースです。
高槻市バス「北大塚」バス停を出発し、以下、ご紹介するスポットの順番にまわるとおおよそ2時間~3時間でまわることができます。Google Mapも参照しながら周遊をお楽しみください。
「北大塚」バス停 → 大塚神社・大塚殿小宮 → 鳥ヶ下用水樋跡・樋門取水口 → 大塚ワンド(湾処) → 河川公園内の道標 → 大塚切れ洪水記念碑 → 「北大塚」バス停
大塚地区・大塚ワンド周辺の見どころ
大塚神社・大塚殿小宮(おおつかでんしょうぐう)
大塚の地名の由来は、平安時代、清和上皇が諸国を巡られた際、淀川の美しい風景に心を奪われ、松の木にかけた冠をお忘れになり帰られた。気づいた村人たちが冠を埋めて「王塚」と名付けたという伝承があります。この大塚殿は、上皇が亡くなられたあと、その塚に社殿を造り御霊(みたま)を祀り建てられたといわれています。
大塚地区は、かつて現在よりも淀川沿いに位置にも集落がありましたが、1917年(大正6年)に堤防が決壊して大洪水に遭い、その後、淀川補修工事が行われ、集落の一部が移転を余儀なくされました。大塚神社、大塚殿もまた、そのときに移転されましたが、伝承を守るように大塚神社の境内には今も松の木が植わっています。
鳥ヶ下用水樋跡(とりがしたようすいひあと)・樋門取水口(ひもんしゅすいこう)
かつて淀川の河岸より農業用水を引いていたことを伝える樋跡です。いつ用水路が設置されたのかは定かではありませんが、350年以上前であろうといわれています。樋跡の背後に写っているのは淀川の堤防。その先の淀川の河岸には今なお取水口があります。
大塚ワンド(湾処)
ワンドというのは、河川改修の結果できたもので、川の本流とつながっていながらも、土砂などの堆積物や堤防などに囲まれ、池のようになっているところ、増水すれば本流に連なってしまう(川の水で隠れてしまう)ような地形のこと(下図参照)。淀川には、いくつものワンドがあり、大塚ワンドもそのひとつで、2022年頃に改修工事を終えました。
※増水している場合などは非常に危険です。川岸やワンド(湾処)を歩く際は十分気を付けて下さい。
※先週の記事では、ワンドについてもう少し詳しくご紹介しています。ぜひご覧ください。
国土交通省 国土技術政策総合研究所HP 河川用語集 より転載。
河川公園内の道標
現在、淀川河川公園内にあるこの道標(道石)は、明治時代に建てられ、かつて枚方とのあいだを結んだ「大塚の渡し場」として江戸時代の初めから大いに賑わった場所にありました。道標の一面には「右 枚方街道」「左 茨木街道」と刻まれ、人々の道案内を果たしていたことが伝わります。また、「摂津国」「河内国」と刻まれている面があり、明治になっても旧国名が一般に使われていたことを示しています。
大塚切れ洪水記念碑
1917年(大正6年)、台風の影響で暴風雨が3日続き、大塚の堤防が決壊したことを「大塚切れ」といいます。大塚切れは、高槻市の南部一帯はもとより現在の西淀川区(当時の大阪西成郡)にまで広範囲に甚大な洪水被害を及ぼしました。この石碑は、約65,000人が被災したこの惨事を風化させずに後世に伝えようと昭和5年(1930年)に建てられたものです。
JR高槻駅、阪急高槻市駅から「北大塚」バス停への行き方
JR高槻駅南・阪急高槻市駅 4番のりば 「15 北大塚」「15A 北大塚(野田・六中前経由)」行き(乗車時間:約25分)「北大塚」下車(最初の目的地、大塚神社までは徒歩約5分)
※高槻市営バスの時刻表(JR高槻駅南口発/阪急高槻市駅発)をご確認ください。
※北大塚からJR高槻駅南・阪急高槻市駅へ向かうバスの時刻表は、こちらをご確認ください。
〇高槻ボランディアガイドのご紹介
高槻には地元をこよなく愛する人々が運営する「高槻ボランティアガイド」という組織があり、ガイドの歴史小話などを聞きながら散策することができます。今回ご紹介した「大塚・ワンド(湾処)コース」は新しく追加されたコースです。目印や案内サイン等の少ないスポットが多いため、案内役がいるとスムーズに巡ることができるかと思います。
ガイドの話を聞きながらの散策は、またひと味違ったものになりますので、ご興味のある方は高槻市観光協会までお問い合わせください。
※ガイド依頼の申込は、こちらの「高槻ボランティアガイド依頼書」に記入いただき、高槻市観光協会へお申し込みください。